京都の銭湯で出会った“ミカンおばあちゃん”とのサウナ時間|心までととのった夏の日の思い出

サウナにハマったきっかけは京都の銭湯

私がサウナにハマったのは、6〜7年前。大学生として京都に住んでいた頃のことです。

京都といえば神社仏閣や古い町家のイメージが強いですが、実は“銭湯天国”でもあります。
レトロな雰囲気の中にしっかりサウナがあり、しかもワンコイン以下で入れるところも多い。私はその魅力にすっかり夢中になっていました。

そして私にとっての“ととのう”体験は、サウナの温度や水風呂のキンキン度だけでなく、そこで出会った人たちとの小さな交流によって深まっていきました。

今日はその中でも特に忘れられない──“凍ったミカン”の思い出をご紹介します。


古都・京都の銭湯に通い詰めた日々

通っていたのは、街の中心部から少し離れた場所にある地元密着の古い銭湯。

  • 昭和の香りが残る木の下駄箱
  • 「マナーを守って気持ちよく」の張り紙が貼られた脱衣所
  • 富士山ではなく“京都タワー”のタイル画が描かれた浴室

最初は「ちょっと勇気いるな…」と感じていましたが、一歩足を踏み入れると不思議と落ち着く空間。
番台のおばちゃんは気さくで、常連さんは静かにそれぞれの時間を過ごす。

“京都らしさ”と“銭湯らしさ”が溶け合ったその空気に、私はどんどん惹かれていきました。


サウナ室には“おばあちゃんサウナー”がいた

サウナ室にいた“おばあちゃんサウナー”

その銭湯には、いつも同じ時間にサウナ室で顔を合わせるおばあちゃんたちがいました。

年齢は60代後半から70代後半くらい。
彼女たちは無言で座って汗を流し、水風呂に入り、またサウナへ戻る。

タオルの巻き方や時計の使い方など、ひとつひとつの所作が丁寧で美しかったのを覚えています。
私がまだ“整う”を知らなかった頃、彼女たちはすでにその境地に達していたように見えました。

「おばあちゃんサウナー」という言葉すらなかった時代から、サウナを暮らしの一部にしていた。
その姿が、私にはとてもかっこよく映りました。


サウナ室で、凍ったミカンをくれた日

ある夏の日。外に出るだけで汗が噴き出すほどの暑さでした。

私はサウナ室の上段に座り、汗を流していました。隣にはいつものおばあちゃん。静かに目を閉じています。

すると突然、彼女は保冷容器から小さな凍ったミカンを取り出し、私に差し出してくれました。
「これ、よかったら」と微笑みながら。

私は驚きつつも受け取り、「えっ、いいんですか?」と聞くと、
「こういう暑い日は、これが一番ええよ」とさりげなく返し、また目を閉じました。

そのミカンは芯まで凍っていて、手のひらにひんやり。
口に入れると甘酸っぱさと冷たさが一気に体に染みわたり、汗をかいた身体にご褒美のように沁みました。

あの瞬間の味とやさしさは、今でも忘れられません。

※サウナ室での飲食を禁止している施設もありますので、ルールを守って利用しましょう。


サウナは「ととのう」だけじゃなく「つながる」場所だった

それ以降、私はその銭湯へ通うたびに、なんとなくそのおばあちゃんを探してしまうようになりました。
彼女からミカンをもらったのは一度きりでしたが、その一瞬のやり取りがとてもあたたかくて、心に残っています。

サウナに通う理由は人それぞれですが、私にとっての原点はこの“ミカンの記憶”なのかもしれません。

整う、癒される、リセットされる──
そんな効果ももちろんありますが、
それ以上に、人とのふれあい小さな優しさに出会える場所として、私はサウナを愛しています。


今もふと、あのミカンの味を思い出す

今は別の場所に住んでいて、オシャレなサウナ施設にもよく行きます。
自動ロウリュ、高性能の水風呂、アウフグース…どれも素晴らしくて、サウナの進化を実感する日々です。

でも、ふとした瞬間に思い出すのは、あの銭湯のサウナ室。
木の香り、うっすらくもった鏡、そして“凍ったミカン”のやさしさ

もしかしたらもう会えないかもしれないけれど、
私の中にはずっと、あの夏の日の体験が残っています。


おわりに|サウナは、人のやさしさに気づける場所

今回ご紹介したのは、ほんの小さな出来事です。
でも、サウナに通っていなければ出会えなかった風景、
あの空気感や交流が、私の心にとって大切な癒しとなりました。

もしあなたがこれからサウナを始めるなら、
ぜひ“設備”だけでなく“人”とのふれあいにも目を向けてみてください。
何気ない一言や笑顔が、きっとあなたをもっと深く整えてくれるはずです。